知って得する!遊郭ガイド
遊郭の史跡ガイドでは、各県に存在する遊郭についてわかりやすく解説しています。ソープランドの起源である遊郭、ソープランドで遊ぶなら知っておいて損はないでしょう。
1分で中洲遊廓!
九州一の歓楽街!
現在の歓楽街、中洲とは別に、かつて博多柳町遊廓という江戸時代以前からの歴史ある遊廓があった。 福岡医科大学誘致に際し、「柳町」の遊廓は「新柳町」へ移転され、その後も栄えたが、戦災によって半分が消失し、 再興したものの廃止され、旧柳町と併せて368年に及ぶ歴史に幕を降ろした。 中洲は黒田藩が財政立て直しの為に歓楽地帯を作ったのが元となっており、 福岡を代表する祭り、博多祇園山笠では、流れのうちの一つ「中洲流」として伝統を継承している。
A. 柳町遊廓の名残
近松門左衛門の人形浄瑠璃のモデルに
柳町遊廓は近松門左衛門の人形浄瑠璃「博多小女郎波枕」の舞台になっている。 登場人物のモデルとなった小女郎は、博多一の遊女として名を馳せ、 この小女郎と明月、染衣の三人は“柳町三娼伝”として有名となった。
萬行寺(博多区祇園町)には、薄幸な身で、信心深かった遊女の墓から初七日に蓮花の花が咲いたという伝説の「明月の墓」がある。
1:萬行寺の「明月の墓」
B. 博多祇園山笠
博多祇園山笠は博多どんたくとともに博多を代表する祭りで、毎年7月1日から7月15日にかけて開催されている。 豊臣秀吉の九州征伐などに際して戦火で荒廃した博多を復興させる際に、 博多の町を「流(ながれ)」という単位で区画分けしたのが、 博多祇園山笠のグループの単位の元となっている。 中洲流は戦後から加わっている。
山笠の時期なら飾り山が市内各地で公開されているので探してみるのもよいだろう。
1:飾り山
2:大正期
3:現在
C. 太閤町割り
街並みに想いをはせる
博多の町は戦国時代に戦火に見舞われ焼失していた。 その後、九州を平定した豊臣秀吉が復興のため、 1587年に行なったのが太閤町割りである。 博多塀と呼ばれることになる瓦礫を素材に利用した塀を作ったものや、 町の端に寺を集めて防塁にするといった現在の博多の街並みの基礎となっている。
地図を眺めながら昔の街並みを想像するのも面白いかも。
1:博多べい
2:博多古地図
3:流れの区分図