知って得する!遊郭ガイド
遊郭の史跡ガイドでは、各県に存在する遊郭についてわかりやすく解説しています。ソープランドの起源である遊郭、ソープランドで遊ぶなら知っておいて損はないでしょう。
1分で雄琴遊廓!
遊廓時代へタイムスリップ
吉原や福原など遊廓からソープランド街になった地域は多くありますが、雄琴には遊廓は存在しませんでした。 しかし、雄琴周辺の京都/奈良には数多くの大規模な遊廓がありました。京都には五条楽園、柳原遊廓、島原遊廓、 奈良には木辻遊廓などがその代表です。特に京都の柳原遊廓は1589年に秀吉により二条柳町に作られたとされていて、 遊廓の起源と言われている。さらに、島原遊廓は江戸時代に設立し、江戸の吉原遊廓、大坂の新町遊廓と並び三大遊廓とされていた。 京都/奈良は歴史的地区なので、今でも多くの史跡が残っている。
A. 五条楽園
つい最近まで営業していた旧遊廓
京阪清水五条駅の近く、高瀬川沿いにある旧遊廓「五条楽園」。 旧遊廓というと、つい江戸や明治、昭和を思い浮かべるが、 この五条楽園は,1958年に「七条新地」から「五条楽園」という名に 変わってから、2010年の京都府警による一斉取締りが行われるまで 営業していたのである。システムとしては、祇園や先斗町などの 花街と似ていて、お茶屋にお客が入ると置屋に連絡が入り、 置屋から女性が派遣されるというシステムであった。 現在も多くの旧遊廓時代の建物が残って、旅館風の建物がそれである。
このエリアには洒落たカフェも多いため、五条楽園を歩き回って疲れたら、カフェで脚を休めるのもいい。
1:七条新地(後五条楽園)
2:立派な姑楼建築
3:五条楽園の看板
4:現在はカフェの旧姑楼
B. 五条楽園歌舞練場
色街の歌舞練場
祇園や先斗町、宮川町の花街と同じように五条楽園にも歌舞練場が ある。ここで働く遊女は、日本舞踊や三味線などの稽古が 義務付けられていて、ここで稽古をしていた。その稽古は かなり厳しかったと言われている。現在では五条楽園のお茶屋は 廃業または休業となっているため、稽古は行われていないが、 伝統芸能や現代パフォーマー・アートなどのイベントに 利用されている。
現在では様々なイベントが行われているので、近くに来た際はこの歌舞練場を訪れていみるのがいいだろう
1:明治期の歌舞練場周辺
2:歌舞練場内
3:現在の歌舞練場
C. 島原遊廓
江戸時代に繁栄した三大遊郭の一つ
島原遊郭は、江戸時代に開設され、江戸の吉原、大阪の新町と並ぶ 三大遊郭として隆盛を極めた。しかし、江戸の吉原とは異なる点が いくつかある。吉原が遊宴がほとんどであったのに対し、島原は 遊宴だけでなく、和歌や俳諧などの文芸も盛んであった。そのため、 吉原のように閉鎖的な地域ではなく、老若男女の出入りが比較的自由で 開放的であった。また、営業形態でも異なる。吉原が「居稼ぎ制」、 つまり遊郭が娼妓をかかえて営業していたのに対し、島原は 「送り込み制」、つまり置屋が娼妓をかかえて、揚屋に客が入ったら 置屋から派遣される形態をとっていた。現代に例えると、置屋が 「芸能プロダクション」で、揚屋が「TV局」といったところ。 現在の花街は、この「送り込み制」である。現在でも島原大門や 輪違屋などの歴史的な景観が残っており、花街の気分を味わえる。
あの新選組もここで遊んだと言われている。島原遊郭にある輪違屋の遊女は新選組隊士と関わりが深かったとされているので、新選組好きは輪違屋を訪れてみるといい。
1:明治期の島原太夫
2:夕霧祭の太夫道中
3:現在の島原の入口
D. 島原大門
京都最大の花街への入口
島原大門は島原の東入口に位置し、当初は吉原などと同じく遊郭と街を 隔離するためのものであった。しかし、島原の場合は和歌や俳諧など 文芸が盛んになっていったため、徐々に開放的になっていた。現在の 大門は、慶応3年に再建されたもので、京都市の有形文化財である。
門の横には吉原と同様に「見返り柳」が存在する。見返り柳は遊郭を象徴するものだったのだろう。
1:現在の島原大門
E. 輪違屋
由緒ある置屋
輪違屋は娼妓をかかえ揚屋へ派遣する置屋でした。娼妓は太夫と 呼ばれ、十万石の大名に匹敵するほど格式が高く、さらに高い教養を 具えていたと言われている。また、ここに所属する娼妓は新撰組との 結びつきが強かったようである。現在は、お茶屋として営業しており、 客として中に入ることは可能である。
お茶屋というと敷居が高いがバーが併設されているので、興味があれば中に入ってみるのもよい。
1:輪違屋の外観
2:その名の通り輪違い
3:輪違屋の中
F. 角屋
新撰組、幕末の志士と関わりが深い歴史的な場所
輪違屋が娼妓をかかえる置屋であったのに対し、角屋はお客に遊宴を 楽しんでもらうために、娼妓を派遣してもらう揚屋であった。揚屋では 遊宴だけでなく、お茶会や句会が催されるなど文芸を嗜む場でも あった。ここが吉原の遊廓と異なる点である。幕末には西郷隆盛や 久坂玄瑞などが軍資金獲得のために豪商と密議を行った 歴史的な場所でもある。現在、角屋は「角屋もてなしの文化美術館」 として一般公開されている。
一般公開されていて誰でも見学することができる。角屋の中はかなり広く、座敷も庭園もかなり立派なので一見の価値あり。
1:明治期、角屋前の太夫
2:角屋の外観
3:角屋の中
G. 木辻遊廓
好色一代男にも登場した遊廓
木辻遊郭跡は奈良県奈良市に存在する。実はこの木辻遊郭は 中学の頃皆が勉強したであろう井原西鶴の好色一代男にも 登場するほどなので、相当名の知れた遊郭であったことがうかがえる。 明治5年の芸娼妓解放令で政府に認められた遊郭はこの木辻だけ である。現在、この地区には古い木造建築が立ち並ぶので情緒深い。
この遊廓跡の近くに称念寺という寺があり、そこに遊女の墓があるので、興味がある人は訪れてみるとよい。
1:木辻遊廓跡
H. 旅館 静観荘
泊まれる元姑楼
静観荘は現在、素泊まりができる旅館であるが、昭和33年までは 遊郭であった。その大きさは420坪、そのうち庭園が75坪と、非常に 大規模な姑楼であったことがわかる。現在でも手入れが 行き届いていて、立派な姑楼建築は健在である。
外観を見るだけでなく、泊まってみるとよい。建物や庭園は立派で、 ところどころの装飾を見ると遊廓であったことがわかる。値段は格安だ。
1:静観荘正面
2:立派な庭園
3:太鼓橋
I. 郡山東岡遊廓
見る影もない色街
大和郡山市の東岡町にあるこの遊郭は、奈良三大遊郭の一つ。 この街に入ると高々とそびえる3階建ての姑楼をが目に入る。 しかし、よく見ると雨戸などは損傷が激しく、空き家であることが わかる。このような建物がこの地区には多く、奈良三大遊郭として 栄えた色街は見る影もなく、死んだ色街となっている。
廃墟マニアにはもってこいの場所である。
1:木造3階建ての姑楼
J. 旧川本家住宅
蘇えった姑楼
旧川本家住宅は大和郡山市にある洞泉寺町遊郭の中にある。 これも奈良三大遊郭の一つ。規模は東岡遊郭より小さくなるものの 建物の保存状態は東岡遊郭のものより明らかに良い。 この地域は古い建物の保全が積極的に行われている。
この旧川本家住宅はしっかり許可を取れば入れるようだ。
1:旧川本家住宅の外観